IoTというワードが登場して数年が経ちました。IoTに対する捉え方や期待値は人により違うと思いますが、「思っていたより大きな衝撃はない」と結論づけるにはまだ早いかもしれません。今回は、電通テックの研究・開発型組織「+tech labo」で、IoTサービス開発をしている原田裕生が、IoTという「現象」を今一度紐解き、人々の生活や購買行動が今後どうなっていくのかを考察します。
多くの方が実感されている通り、ここ1年でより多くの身の回りの行動がオンライン化されました。それは、正しくDX(デジタルトランスフォーメーション)と呼べるものから、単なるツールのデジタル化(少し古い言い方をすればスマート化)を行っただけのものまで様々です。
不可逆的に、そして加速度的にオンライン化が進行している社会の一つの考察として、今回は近い将来の「生活者の買い物の仕方」について考えてみたいと思います。
オンライン化の意味を考える
今や当たり前の生活を人並みに送るだけでも、スマホを使っていれば生活の実に多くがオンライン化されます。言い換えればデータ化されるということでもあり、このスマホから取得できるデータだけでも、十分に解像度の高い個人像が浮かび上がります。
昔、バラエティー番組の企画で、あるお笑い芸人のスマホを取り上げて、保存されている写真やLINEしている相手、ブラウザの検索履歴を見て持ち主を当てるという企画を見たことがあったのですが、ほとんどの解答者が正解していました(視聴者として見ていた私でさえ答えを想像できたほど!)。スマホのデータだけで解像度の高い個人像が浮かぶとは、まさにこういうことです。更に、支払いの多くをスマホで行っている場合、この解像度は飛躍的に高まります。
こうしたデータの利活用について一時世界から注目を集めたのが中国です。中国のデータ利活用を紐解いた本(や危険性を説いた本)も多数出版され、データドリブンマーケティングのケーススタディとしては枚挙にいとまがありません。日本もその動向に注目していました。
一つの事例を紹介します。
中国最大のECモールに、一部の富裕層しか手が伸びないようなイタリア製のスポーツカーが出品されました。高級車をネット通販しようというわけですが、結果から言うと、用意された100台が数秒で完売したのです。「お金持ちっていっぱいいるのね…」も中国の人口を考えれば一つの事実かもしれませんが、もちろんカラクリは入念なデータマーケティングです。オンライン化された行動から得られるデータを使って予め見込み客を特定し、個人個人に沿ったやり方で販売開始までアプローチを続けたようです。(出典元:AlibabaNews Japanese)
おそらく、
・大金持ち(銀行口座の資産情報)
・ECサイトの頻繁な利用者(WEB行動履歴)
・車好き(購買履歴、検索履歴)
・イタリアまたはイタリア車好き(購買履歴、検索履歴、あるいは写真)
・車または免許を持っている(公的機関の情報)
・車の買い替えタイミングが来ている(車検情報)
・財布のひもが緩い(決済履歴)
・不当な返品やキャンセルなどの悪癖がない(信用スコア情報)
・限定販売や特別販売に弱い(購買履歴)
etc.
こうした条件に合致する人物をデータで絞り込むことで、「高級車も秒でポチっちゃう人」を特定していたのだと考えられます。
この事例は、横断的な個人情報をまとめて管理できたり、高いスマホ普及率やキャッシュレス決済比率という土壌のある中国都市部ならではの事例とも言えるので、「すでに世界はこうなっているのか!」と考えるのは早計かもしれません。しかしこれはもう数年前の事例であり、数年前から普及している技術でも本気を出せばこれくらいの芸当が可能になるという一種の社会実験だったとも言えます。
オンライン化が進むということは、少なからずこうしたことが可能になる社会に向かいつつあるということです。
テクノロジーの進化の速度を考えると今日の社会でより多くのことが可能になっているであろうことは想像に難くありません。 中でもこれから本当の意味で普及が期待されている技術が、IoTです。
IoTは新しいメディア
IoTはあらゆるシーンでオンラインへの接点を人々に提供します。Internet of Thingsとは、文字通り世の中のモノゴト=ThingsをInternetに繋ぐ媒介装置という側面を持っています。したがって「IoT化社会」とは、主にスマホやPCに限られていたオンラインへの入り口が、あらゆる物体に広がっていく「現象」と捉えることができます。
この現象が、また新しいデータを生み出すことになります。
スマホのデータだけで絶大なマーケティングメリットを生み出せるので十分なようですが、スマホを媒介にした行動データは、そのほとんどが「意思決定」に関わるデータです。何かを買うのも、何かを検索するのも、何かを撮影するのも、誰かとコミュニケーションするのも、基本的にはユーザーの意思決定の結果です。そう考えると世の中のほとんどの出来事は人々の意思決定の集積とも言えるので、チョークポイントとしてのスマホの存在は巨大です。
一方でスマホではわからないデータもあります。それは意思決定が行われる前後の、静的な「状態」のデータです。こうしたデータをスマホに代わって補完できるのがIoTです。今ユーザーはどういう状態におかれているのか?どういう環境なのか?その場で何が起こったのか?自分が身に着けているものや、使っているもの、自分がいる部屋などがIoT化されると、こうした現実世界で進行中の状態を観測することが可能になります。IoTが媒介となって、対象者の意識外の出来事をオンライン化するわけです。
そういう意味で、IoTは新しいメディアだと考えています。
メディアとは媒体です。従来、TVや新聞を始めとする情報伝達装置という意味で使われてきました。すなわち、サービサーからユーザーに向けて情報を伝達させるための装置です。IoTではこのベクトルが逆向きにも流れるようになって、ユーザーからサービサーに向けて、ユーザーの情報を伝達します。
例えば、IoTと聞いてイメージしやすいものにスマートウォッチがありますね。
スマホと連動したり道案内をさせたりする他、脈拍センサーや加速度センサーを備え、バイタルデータをセンシングしてヘルスケアデバイスとしても活用されています。現時点ではまだできることに限りがありますが、バイタルデータを取得することで、ユーザーの身体の「状態」や、場合によっては心理の「状態」をデータ化することが可能となります。例えば脈拍数と加速度をトラッキングするだけでも、その人が落ち着いているのか緊張状態にあるのか、運動中なのかそうでないのかがわかるようになっています。これはスマホだけではわからなかったことです。
スマホの意思決定データと、状態データなどIoTで取得できるデータが組み合わさると、現実世界のデジタルツインが出来上がります。現実世界をデジタル上に模したデジタルツインでは、ユーザーのこれまでの意思決定に基づいて再現された個人像が、現在~未来の状態でどう作用するか、その人が置かれているコンテクストに沿ってシミュレートする事が理論上可能になります。
そうなると、現在一般的なリコメンド機能に代表されるように「過去の履歴から推察した現在に対する提案」よりももっと踏み込んだ「現在置かれている事情に沿った提案」を行うことが可能になるのではないでしょうか。我が国では、古来よりこれを“おもてなし”と呼んでいますね。IoTが普及することで、その人にとってより気の利いたおもてなしを受けることが可能になると考えています。
プロモーションは「プロポーザル化」する
自分自身のことを常に把握されてしまうようで、なんだかディストピアに聞こえなくもない、という感想の方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、ポジティブに捉えれば「自分の現在の状態に即した提案を受けることができる」ということでもあります。あらゆる場所、いかなる状況でも、最適で快適な体験ができるということです。
前述の通り、「意思決定」のデータは基本的には「過去に自分が行った意思決定」のデータなので、そこから導き出されるレコメンドも所詮過去の自分から連続的に想像された「地続きの今」でしかありません。皆さんも、例えば一度ネットでスニーカーについて調べてしまったがために、その後あらゆるWEB広告上でスニーカー情報が表示され続ける(もう買ったのに)…というような経験があるのではないでしょうか。
そこに、自分自身の心境や状態の変化、その場その時の状況は考慮されません。しかし、IoTが身の回りや街中に増えると、これまで実現できなかった、一人一人のTPOにフィットした提案が可能になると考えられます。
レコメンド機能に代表される過去の傾向に依拠した提案能力に、現在~未来という時間軸が追加されることで、一人の個別の事情を慮ったプロモーション提案ができるようになるのではないか?
私たちはこれを「プロポーザル化」と呼んでいます。プロポーザルとは企画や提案という意味ですが、まさに“プロポーズ”であるように、受け手に親密に寄り添ったスタンスが重要であると考えています。相手の気持ちを無視して一方的にプロポーズしても良い結果にはきっとならないですよね?(笑)
TimeとPlaceはこれまでも捕捉できました。しかし、Occasion=事情の部分、その場その場で人々が置かれている生きた事情が捕捉できるようになることで、プロモーションにおいてもかゆい所に手が届くおもてなし型の提案ができるようになるのではないかと考えています。企業からのユーザーへの提案のアプローチが変わる瞬間です。
現在の状態をデータというインプットに変え、デジタル上でシミュレートした結果を、先回りしたおもてなしの体験としてアウトプットできること。それが、IoTがバズワードではなく新しいメディアとして重要視される理由ではないでしょうか。
プロポーザル化した世界で、どう振る舞うべきか?
メディアはこれまで人々の行動を大きく変えてきました。TV、パソコン、携帯電話からスマホへと、新しいメディアが台頭する度に人々の行動も大きく変わっていきました。IoTも同様だと思います。ただしIoTは特定の商品ジャンルを示すものではなく、身の回りのあらゆるモノゴトがインターネット化していく現象です。
一つの商品が爆発的に普及しても、身の回りが網羅的にIoT化されないと、これまで述べてきたようなおもてなし体験は得られないでしょう。現に、スマホだってIoTで、ほとんどの人が手にしていますが、あらゆるプロモーションがプロポーザル化しているとは言えません。身に着けるもの、自宅、生活インフラ、街ナカ、これらが漸進的にIoT化されていくと同時に、ゆっくりとプロポーザル化は進行すると思います。
「気が付いた時には手遅れ」とならないように今重要なことを考えると、抽象的ではありますが、そうした変化の可能性も受け入れながら「自分達は現在と未来においてどういう存在でいたいか」というビジョンをしっかり持つ、ということに尽きるのではないでしょうか。
IoT化社会やプロポーザル化に備えて取るべきアクションや具体的な打ち手は各社異なるでしょうし、藪から棒に「自社製品もIoT化しよう」「とにかくデータに明るくなるべき」と言うつもりはありません(もちろん、後者は重要であるに違いありませんが)。それよりももっと普遍的で、かつ強調してもしすぎることのないプリンシプルが、ビジョンの明確化であるように思います。DXをはじめ、IoT化社会や未来予測が難しいVUCAの時代へ対応するためのお題目はすべて手段であるべきです。「何のためにDXが必要なのか?」「そもそもどうしてIoTなのか?」という問いに答えられる目的の方がよほど重要ではないでしょうか。目的があいまいな手段の濫用は疲弊するばかりか、多くの場合うまくいきません。社内で意思統一ができないし、提供価値に整合性が取れなくなるはずです。
ここまでIoT化社会やプロポーザル化など未来社会の兆しについて語ってきましたが、究極それらは新しい選択肢、多くの場合手段にすぎません。こうした変化に流されることなく乗りこなすためには、結局「己を知る」という所に帰ってきます。「自分達は現在と未来においてどういう存在でいたいか」という座標が明確なら、正しい取捨選択を行いながら、正しい自己変革を起こすことができるのではないでしょうか。
新しい技術や概念が目まぐるしく登場する現代。プロポーザル化もその一つです。これらに踊らされることなく、明確な座標に向かってその時その時の在り方を常に問い続けたいと思います。結局、すべての行いに筋が通っている者が、一番強いですね!
原田 裕生
2009年電通テック入社。研究・開発型組織+tech laboに所属。事業開発、戦略構想、ものづくり、ストリートダンス、飲み会の幹事に強みのある研究員。プロデューサーから出発し、プランニングから生産管理(現地作業員の帽子の被り方までチェックするとか…)まで、プロモーション領域に関してはフルスタックで修行を積む。+tech laboは構想立ち上げから参画。IoTプロダクト開発やジェネラルな経験を活かして、現在は事業構想から戦略実行をメインにプロジェクトを支援中。
- Written by:
- BAE編集部