2019.08.30

なぜ、ガチャは50年も生き残ったのか?(後編)

ガチャの歴史をひもとき、その謎に迫る

「ガチャ」というビジネスが日本で始まったのは1965年。東京オリンピックの翌年です。このデジタル全盛の時代に超アナログな「ガチャ」が50年以上生き残り今なお緩やかな成長をしています。この謎に迫るために、1990年代から「ガチャ」ビジネスに携わり歴史にも詳しい日本ガチャガチャ協会 会長 小野尾勝彦氏とガチャブランド「パンダの穴」のクリエーティブディレクター飯田雅実氏が対談を行い、「ガチャ」の歴史にスポットを当てます。後編は「ガチャ」が生き残った核心に迫ります。

目次

ハード革命が起こり大人市場が拡大

飯田

90年代後半なのか2000年入ってなのかわからないですが、大人の市場が徐々に拡大していくと思うんですけども、その辺りのきっかけとかを、お聞きできればと。

小野尾

一番大きいのは、1995年に登場したスリムボーイっていうガチャマシンがやっぱり。

飯田

これですね。

小野尾

はい。それまで、ガチャマシンって100円と200円機が別々で、鉄のパイプにマシンを載せてメンテナンスも大変だったんですけど、新しいマシンは100円200円が切り替えできるんですよ。これだと、オペレーターっていう代理店さんが簡易に商品を入れ替えられたり、お金の集金とかが簡単にできるようになりました。このマシンはデザインが斬新だったので、商品化できるキャラクターが広がりました。それから、今までマシンには開発番号が付けられていましたが、スリムボーイという名前を付けてブランド化をしました。

飯田

このマシンのお陰ということですか?

小野尾

そう、このマシンで大手版元さんから版権を取得することができました。

飯田

それまでできなかったんですか?

小野尾

一時期販売していたときもあって売れたようですが、子どもだけということもあり拡大にはなりませんでした。
「やっぱり大人にもっとシフトしたい」という版元さん側とメーカー側との目標が合致したというか、ガチャは昔だと軒先とかエスカレーターの脇とか駄菓子屋さんの前とか、そういうところにマシンが置かれてたと思うんですよね。それを、「もっときれいで、もっといい所に置こうじゃないか」という思いで、このマシンを開発したんですよね。オペレーターさんの話も聞いて、もっとメンテしやすいマシン。あと、デザイン性。もっとおしゃれで、見ても怪しくないというか、『これ、出てくんのかよ?』みたいな、そういうマシンではないものを作ろうというので作ったマシンです。

飯田

ハード革命ですね。

小野尾

マシン自体が機能性もそうなんですけど、デザイン性をもっと重視してやろうっていうので作ったマシンなんです。ちゃんとした丸みを帯びてて流線型で、結構おしゃれなんですよね。

飯田

デザイン性も高いですよね?

小野尾

そう。このマシンは今も台湾で設置されています。セキュリティとかコインの問題とかもあって新しいマシンが多くなっていますが。

飯田

なるほど。

小野尾

スリムボーイは、色替えとかもできるようになったので。それで、イベントとかもやったりしました。

飯田

確かに。

小野尾

お母さん、増えましたね。お母さんファン。

飯田

主婦層に広がるんですね。ここが大きかったですね。

小野尾

そう。1995年は、ちょうどキャラクターも増え、子どもたちだけじゃなくて親御さんも巻き込んでブームになりました。その後、カプセルプラレールを出したんですけど、カプセルプラレールもやっぱり親御さんが買ってくれて、親子ではまる方が多かったですかね。

飯田

ガチャの歴史で、今につながる分岐点になっていますね。

小野尾

そうですね、はい。今までずっと100円だったのが、やっぱり200円にできたというのは・・・

飯田

大きいですね。

小野尾

かなり大きいと思いますね。ユージンは、SRシリーズというフィギュアシリーズを立ち上げました。男性向けに。それも200円なんですけど。フィギュアコレクターの男性に買っていただきました。ただユージンは、売れる売れないの振れ幅が大きすぎるとよく言われました。

飯田

でも、このスリムボーイというのは、今のガチャのデザインに近いですよね。

小野尾

そうですね。

飯田

今は2段が主流なんですけども。このころからですか、この2段のタイプは?

小野尾

そうです。スリムボーイが最初で、ユージンから始まっています。

飯田

わかりました。こういう大人の市場が広がって、今のガチャビジネスにすごく近い感じになってくるのかなと。そこで、奇譚クラブさんの登場があるかなと思うんですけども。奇譚クラブさんも、ユージンと関係があると思いますが。

小野尾

そうですね、はい。

奇譚クラブとパンダの穴が登場

飯田

ユージンさんからタカラトミーアーツさんになって、そこからまたさらに奇譚クラブさんという会社が出てきました。その辺りもまた変換期があったような気がするんですけど。

小野尾

ユージンに在籍した奇譚クラブの社長の古屋君は、ユージンの中で最初営業で途中から企画をお願いするのですが、デザインを重視して作家さんと一緒に商品化したりする企画が結構多くて、クリエイターさんと付き合うというか、そういうのを発掘してくるのがすごくうまくて、ユージンの中でも結構特殊でした。デビルロボッツさんっていうデザイナーさんがいるんですけど、そのときも古屋君がやったりとか、いろんなことを仕掛けていたんですよね。

そうこうしているうちに、ユージンの後半に古屋君は辞めちゃうんですけど。辞めて奇譚クラブになるんですけど。最初、模索してるというか、キャラクターも多くて。同じようにやるんだけど、その商品自体がそんなに売れてなかったんですけど「やっぱり、もっとオリジナルに特化しよう」というのでオリジナルをやり始めて、作家さんに特化してテレビのャラクターではない奇譚クラブならではのものをタナカカツキさんとフチ子さんを開発して大ヒットしたっていうのは、やっぱりそういうクリエイターさんと組むのが得意なのかなというのはすごくあります。

飯田

従来のキャラクタービジネスから、一歩外に出ていくとか。

小野尾

そうですね。そこが多分「キャラクターでやったとしても、大手に勝てない」というので、オリジナルというか「クリエイターさんと組んでオリジナルの物を作ろう」というのをやり始めた感じですかね。
あと、彼が凄いのはSNSがはやるぐらいに「ブログとか、そういう発信力がある人と付き合った方が面白いんじゃないか」っていうのをよく言ってて、それがやっぱり、タナカカツキさんと一緒にフチ子さんを開発したと思うんですけど。先見の明があるというか、ブログであるとか、Twitterであるとか、そういう発信力のある方を見つけるのが、彼はやっぱりすごいなあと思いますけどね。

飯田

その時代の空気をちゃんとキャッチしてやっていると言いますか。

小野尾

うん。

飯田

そういう奇譚クラブさんが出現されて。われわれがやっているパンダの穴が7年後に出てきます。

小野尾

フチ子さんが出たときと、近いでしょう?

飯田

パンダの穴が立ち上がったときは、まだフチ子さんはなかったと思うんですよ、確か。

小野尾

でも、ありましたよね?なかった?なんか気になるな。

飯田

出てましたか?

小野尾

ちょっと待って。これは、こないだの資料だから。2012年の7月って書いてますね。

飯田

フチ子さんですか?じゃ、出てますね。

小野尾

そう、1年後ですよ。2013年9月がパンダの穴で、2012年の7月がフチ子さん。

飯田

ほんとだ。もう出ていたんですね。私は、当時記憶に残っているガチャは、土下座シリーズというザリガニワークスさんの・・・

小野尾

ザリガニワークスさんのね。確かにね。

飯田

なぜか記憶に残っているんですよね。あとはもう、逆にガチャの市場の勉強は一切やらない方がいいなと思って、もう見なかったんですよ全く。

小野尾

なるほど。

飯田

なので、今もそうですが誰が何を出しているかっていうのは、全くわからないままやっていました。

小野尾

なるほど、逆にね。
 

飯田

そうですね。とにかくわれわれは後発なので見てしまうと影響されたり、そこから外れようとすると思うので、「これはもう、見ない方がいいな」ということで。ほぼほぼ見てなかったんですけど、その土下座だけはうちの若いクリエイターの机の上に置いてあって「あれ?これ何なんだろうな?」って、最初ガチャって知らなかったんですよね。
その後、町を歩いていたときに、「土下座」っていうのがたまたま目に入って「あ、これガチャなんだ」というのを、そこで認識しました。

飯田

パンダの穴が5年前に出て、最近はガチャメーカーがまた乱立している時代が・・・

小野尾

約30社ですね。

飯田

30社なんですか?それはすごいですね。

小野尾

はい。5年で10社ぐらい増えた感じですかね。

飯田

そうですか、我々が参入したときって十何社ぐらいしか・・・

小野尾

そう。15、6社。

飯田

ですよね?だから、倍になってるんですね。

小野尾

そう、倍になった。

ガチャ史50年を振り返って

飯田

ほんとに駆け足ではありますが、ガチャの50年をザックリと振り返ってみましたが。

小野尾

ザックリと。

飯田

ほんとは、もっと奥深いものだと思うんですけども、小野尾さんから見て「ガチャが日本の市場で、なんで50年も生き残ってしまったのか?」ということを、どうお考えになりますか?

小野尾

何なんですかね。何だろうなあ、自分で思うのは、やっぱりガチャって売り場を独占できる空間というか、

飯田

コーナー自体を。

小野尾

そうそう。マシンを置いちゃえば、それがもうほんとに独占空間になって、それ昔から変わってないじゃないですか。

飯田

はい、そうですね。

小野尾

別にそれが量販店さんだろうが、駄菓子屋さんの前だろうが、オペレーターさんとメーカーとが一緒に商品を考えて空間を創造できるのが一番かなと思って、あと「中身自体を、その時代時代に独占的空間の中にどう入れ込んでいくか」っていうのを考えられるっていうのは、他では見当たらないシステムです。だから、ずっとこの先も変わらないかなと思ってるんですよね、ガチャガチャ自体は。

飯田

変えようがないってことですよね。

小野尾

変えようがない。

飯田

マシン置くだけですもんね。

小野尾

ただ、マシンの形状自体は今後変わってくると思います。今、キャッシュレス対応のマシンとかあるじゃないですか、中国はすべてキャッシュレスマシンで、そういう買い方であるとか、マシンは変わっていくけど、その空間自体は変えられないので、ガチャっていう仕組み自体というか、何が出てくるかわからないという仕組み自体があるので、これがある限りガチャは多分なくなんないんじゃないかなと。ただ、いけないのは、そこに提供する商品自体が面白くないと、だめだと思うんですね。当たり前ですが。

飯田

そうですね。活気がないとってことですね。

小野尾

そう。活気がなくて、お客さんも全くいないと、マシン自体が墓石みたくなってしまう。でも、そのあとに新しいコンテンツとかが出始めてから、またどんどん新しいお客さんとかが来るじゃないですか。だから、また普通に継続して、同じものを多分ずっと展開していくのって飽きられて多分だめだと思うんですよね。市場とか「今、何が売れてるか」とか「今どういう、動きになってるか」っていうのは、日々「その空間にどう表現できるか」っていうことだと思うんですけどね。だから、パンダの穴とか、あとは成田のやつとかも、ある程度時期がたってきたので変えないと、ちょっと不安ですよね。「一番、今売れてるな」っていうときが、一番危険なときだから。

飯田

そうですね。

小野尾

そうそう。だから、今が一番なんかね。5年たってるじゃないですか。

飯田

そうですね。

小野尾

そうそう、だから一番危険な香りがする。

飯田

なるほど。

小野尾

やってると思うんですけど。でも、すごく「売れてる」っていうか、ちやほやされてるときが一番ヤバくないですか?

飯田

そうですね。

小野尾

今なんかドキドキしますね。

飯田

はい。肝に命じておきます。

小野尾

自分たちがそうでしたから・・・

飯田

でも、そうですよね。

小野尾

何かこう「あ、またやってんなあ」みたいになっちゃうと、

飯田

マンネリですよね。

小野尾

そう、それが一番怖い。

どの時代も作り手が楽しんでいる

飯田

ガチャが50年以上続いた理由として私が思ったのは、いろんな時代でいろんな面白い商品あるじゃないですか。ということは、その時代その時代、絶対作り手が面白がって作っているんじゃないかなって思うんですよね。それが、後退してなくて、ちゃんと進化につながっているというか、そこがまずは1つ大きいなと言うのと。
あと、作り手がまじめにふざけられるというか、なかなかそういう商売ってないなと思うんですよね。ガチャ以外だとやっぱり、棚を取らなければいけないとか、さっき小野尾さんがおっしゃってたように、ガチャの場合はそこに売る場所があるので、ある種、守られている部分があるので自由度が少し上がると思うんですよ、他の商品と比べると。なので、そういうふざけられる部分が残っているので、作り手が一生懸命ふざけられるというか、そういうのがすごく大きいなと思います。
あと、最近だと、それが癒やしにつながったりとか、先ほどから出ているSNSのネタですよね。そういうところと、時代とうまくリンクしていると言いますか、そういうのが結構強いかなと思います。

小野尾

例えば、メーカーさんが30社まで増えたじゃないですか。その分、新しい商品ができる環境ではあるから、お客さんにとっては面白いのかもしれないですけどね。メーカーにとってはやっぱり、売上というか、市場のパイの食い合いになってしまうという、厳しいですけど。お客さん自体は、どこのメーカーだろうが、面白い物を買うので。それは、お客さんにとっては、面白がって買ってもらえるのかなと思うんですけどね。

飯田

最近、空港とかで外国人の方が日本のガチャを買われているという現象があると思うんですけども、小野尾さんは、いろいろな国に行かれてますが、日本のガチャが、ここまで進化したと言いますか、その辺については、海外のガチャ事情と比べると、どう思われますか?

小野尾

海外はまだまだ、子どもの購入がほとんどで、海外と言ってもヨーロッパであるとか、アメリカとかは、ほとんど買ってるのは子どもですからね。アジアとか香港とか台湾とかは、日本と同じで大人の人が買いますけど、ガチャって文化自体、向こうから入ってきたものだけど、これだけ大人が買うのは、なんだかんだいって日本しかなくて、大人がガチャをやる文化自体は、世界中でなかなかないですよね。

飯田

独特なんですかね?

小野尾

独特でしょうね。

飯田

何でそんな、日本だけ進化してしまったんですかね?

小野尾

何なんですかね、不思議ですよね。

飯田

すごく不思議です。

小野尾

唯一、ヨーロッパとかでいっときブームっていうか、超有名キャラクターのフィギュアを集めるブームがあって、その時は大人も結構買ってくれてましたけどね。

ガチャってラーメンみたいかも

飯田

話は変わりますが、ガチャってラーメンみたいだなと最近思っています。

小野尾

ラーメン?

飯田

ラーメンってもともとは、日本が発祥地じゃないじゃないですか。大陸から来て、でも、ものすごくお店がいっぱい乱立して、独自の進化を異常なぐらいしていて、今では、日本のラーメンが、海外でも行列ができるぐらいになっています。ガチャももともとはニューヨークで生まれたものが、なぜか日本に来て独自の進化を遂げて、今や台湾だったり香港だったり、そういったところで楽しんでもらえてるという感じがするので「なんでそうなってるのかな?」って考えると、やっぱり独特の進化をしてたからなんだろうなと思うんですよね。
独特の進化をしたということは、作り手の人たちがものすごく頑張ったのと、あと楽しんで作ったというのが、原動力になっているかなと。ガチャを作るっていう人たちも楽しめて、買った方も楽しめるので、そういった意味では、ウィンウィンと言いますか、そういういいサイクルを持っているビジネスモデルにうまくなっていると思ったんですよね。

小野尾さんは、ガチャを例えるとしたら、何かあったりしますか?

小野尾

例えるもの?何だろう?例えるもの?

飯田

「これと似てるな」とかって、特に何もないですか?

小野尾

カラオケとか?物じゃないですけどUFOキャッチャーとか。UFOキャッチャーも元はアメリカにありましたけど日本人的にアレンジして進化して市場として成り立っていますからね。今、中国でブームですし、ガチャマシンの何がでてくるかわからないというのが、やはり独自性を作る原動力になっていると思います。

飯田

そうですね。その独自性をやっぱり持続してるというのが、一番すごいところかなと思います。

小野尾

そう言えば、古本を無人でガチャマシンを利用して販売しているの知ってます?

飯田

わからないです。

小野尾

知らない?三鷹にあるんだけど、今はやってて、古本を。

飯田

自動販売機で売る?

小野尾

いやいや、ガチャマシンが置いてあるんですけど、ガチャマシンから何が出てくるかというと、カプセルで袋を売ってるんですよレジ袋を。300円と500円があって、で、本を売ってるんですよ、古本を並べて。

飯田

はい。

小野尾

無人の古本屋さんなんですけど。三鷹の商店街のほんと先の方の一角にある、24時間の無人販売で、行くじゃないですか。そうすると、ガチャマシンが置いてあるのね。で、本を見るじゃないですか。そうすると、300円と500円と800円って書いてあるの。お金をどこで払うかというと、ガチャガチャマシンなんですよ。で、マシンで袋を買うの。800円だったら300円と500円を入れるの。お金を入れてガチャを回して、カプセルにレジ袋が入っていて、レジ袋に買った本を入れて帰る・・・袋はだぶっちゃうけどね。

飯田

袋に本を入れて持って帰る?

小野尾

そう。

飯田

それ、何でガチャにしたんですかね?

小野尾

マシンじゃなくて、普通にお金入れる箱置いても売れない。ガチャで無人古本屋の方が「何かな?」と思ってひかれるじゃないですか。興味を引かれるでしょう。マシンだと意外と「何か面白そうだな」と思って「1回やろうかな」と思って購入してしまう。普通に古本屋で買えば安いんだけど、そこの値付けが意外と高いんだけど、でも買っちゃうの、なんか。

飯田

面白いですね。

小野尾

そう。あと、いらなくなった本を持ってきてくれるんですよ。近所の人とか無人古本屋さんのファンの方が。箱が置いてあって木箱が。で、「これをぜひ、売ってください」ってお手紙付きで置いてあって。それを、そこのお店の人が一言添えて本を並べていて。なんか行ったときに、自分の本が売れてたらうれしいじゃないですか。で、また読んだ本が、その木箱に入ってたりとかして「ありがとうございました」って。本が循環している・・・

飯田

リサイクルなんですね。

小野尾

そう。だから、何だろうなそれは、ガチャの使い方って面白いなと。

飯田

面白いですね。何なんだろうな。

小野尾

そう。だって、普通にやったら多分売れないのがガチャ使ったら売れるとか、そういうの非常に興味がありますね、なぜガチャだと購入するのかと。

平和な国にガチャはある

飯田

そろそろ最後の話になりますが、小野尾さんの名言で、好きな言葉があって。

小野尾

何ですか?

飯田

「平和な国にガチャはある」っていう。なかなかいい言葉だなと思うんですよね。治安の問題だけではなくて、ガチャが存在する国っていうのは、少し余裕があったり、ちょっといい加減なもんでも了承するというか、広い心というか、そういうものがその言葉から垣間見えるんですよね。
これは小野尾さん、どういった思いで考えたキャッチコピーなんですか?

小野尾

ガチャを回している人は、みんな幸せそうで。

飯田

そういうことなんですね。

小野尾

みんながガチャを回してる姿とか、当たったときの姿とか見てると、みんなすごく楽しそうじゃないですか。あと、やっぱり経済的な余裕がないと結局ガチャガチャって買えないので。

飯田

そうですね。

小野尾

そう。

飯田

変な話、国によってはガチャすら買えない。

小野尾

買えないんじゃないですかね。

飯田

そうですね。

小野尾

だって、「今日、何食べようかな?」って、考えられる国は幸せだと思います。

飯田

治安というよりは、ガチャをやっているシチュエーションが、平和を象徴している感じですか?

小野尾

そうですね。と、思いませんか?

飯田

はい、思います。小野尾さんは、いろんな国を回られていますが、ガチャがある国っていうのは、それなりの文化度が必要でしょうか?

小野尾

教育とか文化度が高くないと、遊びという中でガチャマシンを設置する環境って、厳しいと思います。

飯田

でもほんとに、ガチャが平和のバロメーターになると思いました。

小野尾

ガチャガチャの素晴らしいのはフォーマットがどこの国でも、「お金を入れてハンドルを回すとカプセルが出てくる」っていうその行為自体が全く同じで。何が出てくるかわからない。自分が欲しいと思っていた商品が出てきたときの幸せな笑顔、世界中どこも一緒だというのが、素晴らしいと思っています。子どもでも大人でも同じように喜ばせることができるガチャガチャのフォーマットは素晴らしいです。

飯田

そうですね。言葉も違い、国が違っても、大体同じですよね。

小野尾

そう、みんな同じ。

飯田

それがいいんですよね。

小野尾

あの2回同じのが出てきたときの超悲しい顔とか、3回出たら「もう2度とやんない」とか。みんな同じですしね。面白いなあと思って。

飯田

では、本日はいろんなお話が聞けて楽しかったです。ありがとうございました。

小野尾

いえいえ、とんでもないです。ありがとうございます。

飯田

また、これからもよろしくお願いします。

小野尾

はい、楽しかったです。

小野尾 勝彦

日本ガチャガチャ協会 会長

1994年株式会社ユージンに入社。この時ガチャビジネスと出会い数多くの商品を手掛ける。その後大手玩具メーカーの株式会社タカラトミーアーツを経て2019年に独立。
現在もガチャガチャの普及に取り組んでおり、ガチャガチャの歴史の探求やガチャガチャの講演などを行っている数少ないガチャガチャの伝道師。
 

飯田 雅実

株式会社 電通テック シニアクリエーティブディレクター

広告領域で様々な企画制作を行うなか数多くのプレミアムグッ ズを手掛けたノウハウを活用し2013年ガチャブランド 「パンダの穴」を株式会社タカラトミーアーツと立ち上げる。
「パンダの穴」は累計3000万個を突破し昨年台湾で初の単独イベントを行い16万人を動員するなど、国内外で活動のフィールドが広がっている。

電通テック パンダの穴

Written by:
BAE編集部