まちづくりやソーシャルイノベーション(社会システム改革)に、デザインやクリエーティブの力を積極的に活用する動きが広まっています。
公共空間における魅力的で新しいプロダクトは、周囲の環境や人々にどのような影響を与えるのでしょうか。 渋谷区の公共トイレを新たに建て直し、高いデザイン性によって再定義したことで話題の「THE TOKYO TOILET」プロジェクトの事例から、「公共空間×クリエーティブ」の効果や可能性について、日本財団の花岡さんにお話を伺いました。
クリエーティブの魅力をフックに背景を知って欲しい
——渋谷区の公共トイレをリニューアルする「THE TOKYO TOILET」。どのようなプロジェクトでしょうか。
2018年から渋谷区の協力を得て、ソーシャルイノベーションにまつわるプロジェクトの一つとしてスタートしました。現在までに7カ所が完成しており、2021年夏までに全17カ所が完成予定です。
デザインは、安藤忠雄さん、伊東豊雄さん、隈 研吾さん、坂 茂さん、槇 文彦さんら著名な建築家に加えて、インテリアデザイナーの片山正通さん、プロダクトデザイナーの田村奈穂さんを始めとする有名クリエーターの方々16名に担当していただきました。2020年8、9月の供用開始以降、国内外のメディアやSNS等で話題となっています。
——公共トイレという場所をクリエーティブの力で変えていこうと考えられた理由は、どのような点にあるのでしょうか。
多くの公共トイレは、「汚い、臭い、怖い、暗い」といった理由で、限られた人しか利用しない状態にあります。実際にはそうでなくても、ネガティブな印象で近寄りがたい人も多いようです。
そこで、子どもも高齢者も、障がいのある人もない人も、日本とは違う生活習慣や文化を持つ外国人観光客も、どんな人でも自由に気持ちよく使えるような公共トイレを作り、またきれいな状態を維持しようと考えました。
ただ、きれいで便利なトイレを作るというだけではなく、公共空間と優れたデザイン・クリエーティブのコラボの魅力や可能性を示すことで、インクルーシブな社会の在り方を提案し、発信していこうというのが、もう一つの目的です。
そのためにもメディアとしての情報発信力の高い渋谷区に着目しました。取り組みや狙いを世界に発信するには、渋谷がふさわしいと考えたのです。
——渋谷自体の課題の解決や発信にも繋がっていますね。
それもTHE TOKYO TOILETの重要な意義の一つです。渋谷は一つの目的や用事のためだけに訪れるのはもったいない、魅力あふれる街です。点在する公共物を変身させることで、渋谷を“点”ではなく、広く“面”で捉えてもらうことが可能になります。建築ファンならずとも、「まわって見たい」と思われるでしょう。
渋谷区さん、渋谷区観光協会さんからも「渋谷を訪れる人々に全体に視野を広げてもらい、回遊する体験に繋げるプロダクトにしてほしい」といったリクエストをいただいていました。
——公共空間における建築ならではの、難しさなどはあったでしょうか。
土地ごとの条件や東京都のまちづくり条例などを始めとする“ルール”と、誰にでも使いやすいトイレであるという“実用性”、クリエーターによる“デザイン性・芸術性”の、三本柱の調整については、課題が浮上する場面もありました。
例えば、まず公共トイレの立地は必ずしもいい場所ではありません。面積が限られていたり、地下に下水道等が存在する土地もあります。また、使用状況等の明確なデータがない場合もあり、公園課のノウハウなどから汲み取る必要がありました。 目の不自由な人のための点字ブロックや、安全管理に必要なパトランプなどの色や場所といった設置条件を、デザイン面とどう融合させるのかという点についても、検討が行われる場面がありました。
また、「公共空間に建てる」ということは、残念ながら悪意のある利用者を想定しなくてはならない面もあります。占拠や破損、ゴミの投棄などが起きにくいような配慮が求められました。
——「ルール」と「実用性」と「クリエーティブ」のバランスをとるために、どのような工夫をされたのでしょうか。
どれもおろそかにはできませんから、各所へのヒアリングや提案等、一つ一つ丁寧にクリアする必要がありました。
具体例を挙げると、入り口に赤いパトランプを設置すると、どうもデザインと折り合いそうにない、というテーマが持ち上がります。では、なぜパトランプは赤なのかということを調査すると、機能や視認性をクリアできれば、赤でなくてもかまわないことが判明します。その上で、それでも赤にするか、緑にするか、また他の色にするのか、といった検討が行われるといった形です。
なぜOKなのか、どこがNGなのか。理由や根拠を細かく遡ると、別の提案や選択肢が浮かび上がってくることがあります。そこをクリエーターや関係者にフィードバックして、調整を行いました。非常に細かく、当たり前のことのようですが、その積み重ねの上に、今回のようなデザイン性の高い公共トイレが実現しています。
——そのほかに、公共性という点で気を配れた部分はどこでしょうか。
先述の通り、きれいで快適な状態に保ち続けるということも重要視しました。「ただきれいな建物を完成させた」というだけではなく、サービスやマネジメントも含めた継続性が必要です。
そのため、そもそも清掃しやすい設計・デザインであることを考慮し、清掃頻度の向上や、清掃員の制服のリデザインを行うことなどもプロジェクトに加えています。
近隣住民の意識の向上や、土地のバリューアップに通じる
——利用者や周囲の方からの評判などはいかがでしょうか。
基本的にどれも好評をいただいています。「きれいなトイレが建って嬉しい」「面白い建築ができて驚いた」といった反応が多いようです。
代々木深町小公園、はるのおがわコミュニティパークなどはライトが明るい輝きを放つため、夜道を歩きやすくなったと治安の面でも評価されています。児童遊園として人気の恵比寿東公園のトイレや、こども園に隣接する恵比寿公園のトイレは、親子連れやこども園の先生方からも大変人気があると聞いています。
「都市に違和感なくなじむことができるかどうか」という点も、公共物を建てる上での重要な観点です。例えば、派手なデザインだけが際立ってしまい、その場になじまなかったり、違和感があって浮いてしまうようでは、公共性を担保することは難しいでしょう。
実は、公共トイレの利用者の多くは、近隣の住民自身ではありません。しかし、近隣の住民にとって誇れる場所であれば周辺環境の価値の向上に繋がりますし、「きれいに保とう」「あってよかった」という意識に繋がります。
愛着を持ってもらい、公共の問題を自分事化してもらうという結果に繋がれば、公共とデザインの役割と効果を考える上で、非常に有意義なことでしょう。
——意外な反応などはありましたか?
幅広い海外メディアから取材の依頼が相次いだことは、嬉しい驚きでした。海外ではトイレは単に実用的なスペースであることが多く、日本のように清潔さや快適さが追求される例は稀なようで、デザイン面よりもそのギャップの部分に関心が寄せられたようです。
実際にインド、ベトナム、中国、ヨーロッパなどからの問い合わせもありました。今回の取り組みをそのまま輸出することは難しいと思いますが、可能性はあるかもしれません。
目指す社会像を伝え、新しいスタンダードを作る
——THE TOKYO TOILETが実現した結果、「公共空間×クリエーティブ」によってインクルーシブな社会の形成に繋げるという課題には、どのような影響が表れたと考えられるでしょうか。
予想以上に多くの方の興味関心が寄せられ、また話題にもなったことで、公共(まち)と人、また人と人との繋がりやコミュニケーションを増やす効果が得られました。目的通り、目指す社会像をどう伝えるかという事例の一つとなり、成熟した都市における望ましい公共空間のモデルにもなったと思います。
THE TOKYO TOILETをきっかけに、ユニバーサルな公共施設の在り方や、周辺環境の美化などに関心を寄せてもらう結果に繋がるなら、素晴らしいことだと思います。
もちろん、このプロジェクトを起点に、人々の間にディスカッションが広がったり、具体的な行動が生まれればベストです。 私たちも、今後、周辺の方々や渋谷を訪れる方々に、清掃や美化へのアクションに通じるような働きかけを検討したり、クリエーターの方々のこだわりや想いを伝える機会を増やしたりすることで、より具体的な関わりを強めたり、関心を継続してもらえるような取り組みを実施したいと考えています。
——今後、公共空間におけるクリエーティブの価値はさらに求められていくでしょうか。
公共トイレ以外にも、街区表示板や駐輪場や電柱など、普段は見過ごしている公共物はたくさんあります。デザインや工夫によって、それらの機能を最大化したり、別の役割を持たせたりといったことは考えられると思います。
また、「だれでもトイレ」が障がいのある人だけではなく、結果的に本当に“だれでも”が使いやすい空間になっているように、マイノリティの視点・ユニバーサルな視点が新しいスタンダードや利便性を生む可能性があります。
即時的な利益には繋がりにくいとしても、まちづくりや成熟した都市の在り方を考えていく上では、欠かせない視点でしょう。
今後クリエーターが自発的に社会課題に貢献する、社会課題の側がクリエーターに解決策を求める、という例も増えるのではないかと思っています。
社会課題に対する問題意識の強いミレニアル世代の台頭なども影響して、バブル期のように立派な建築やプロダクトを高額で売買するだけではなく、根底にあるアイデアや工夫を社会や公共のために生かそうという潮流が生まれていることを感じています。
THE TOKYO TOILETは私たちが旗振りをする形でしたが、今後はクリエーター自身が社会的なテーマに積極的に向き合っていく方向に進むのではないでしょうか。
現実問題としては、公共空間と先進的なクリエーティブやデザインとの組み合わせが難しいケースも多いでしょう。しかし、自治体と複数の企業がチームを組むなど、セクターの枠組みを超えた取り組みが増えれば、ユニークなプロダクトの実現例は着実に増やすことができるのではないでしょうか。
「誰もが暮らしやすいまちづくり」のイメージやモデルを示し、ソーシャルイノベーションを推進する上で、クリエーティブの魅力を投じた話題性のあるプロダクトは、今後も大きな力を発揮しそうです。ルールと実用性と芸術性のどれもおろそかにせず、“三方よし”を叶えることが「公共空間×クリエーティブ」によるプロダクトを成功に導くための重要なポイントとなるでしょう。
- Written by:
- BAE編集部