工業や医療などの分野で活躍の幅を広げる機械やロボット。人間に代わるような、細かい作業は苦手でした。しかし近年、“感触”をデータ化して用いることで、繊細な手仕事を可能にする、リアルハプティクス(※)(力触覚技術)の研究開発が進められています。
五感の中で、触覚は最も原始的で重要な感覚です。これを活用することで、リアルタイムで感触を伝達することはもちろん、感触をあえて強めたり、アレンジしたりして、機械の操作性を高めるといったことも可能になりました。 この技術によって、機械やロボットによる作業や仕事の幅や可能性は、どう広がっていくのでしょうか。リアルハプティクスの研究開発を行う、モーションリブ株式会社の溝口さんにお話を伺いました。
※ リアルハプティクスはモーションリブ社の登録商標です。
人が感じる感触の拡大や縮小も可能にする
——「リアルハプティクス」とは、どのような技術でしょうか。
簡単にいうと、物を掴んだときなどの「感触」をデータ化して、応用する技術です。人間の持つ力触覚を伝えることで、機械やロボットにも、人間が行うような感触を頼りにした繊細な作業ができるようになります。
一般的なハプティクス技術は、VR上の映像に触れた際などに、主に一つの機械から一人の人間へ力触覚を伝える技術です。視覚情報の補足として使われることが多いでしょう。
しかし、リアルハプティクスには、力触覚の伝達のほか、記録、編集、再実行などが可能です。 例えば、感触をデータ化して伝送することで、機械やロボットが人のようにモノの感触を確かめながら作業をすることができます。しかも、遠隔からでもリアルタイムで行えるようになりました。
さらには、モノの硬さや軟らかさに合わせて力加減を調整しながら複数のロボットを動かしたり、機械が確認したごく繊細な感触を、人間の側にビビッドに伝えたりすることも可能になりました。 ちなみに、力センサーや特殊なデバイスなどは必要としません。
——感触の記録や伝達、コントロールなどは、具体的にはどのように行うのでしょうか。
機械やロボットのモーター部分に、「ABC-CORE」というICチップを取り付けて行います。まず、力、速度、対象物の硬さ、変異などの情報を1万分の1秒で計測して、物体の情報や動きをデータ化(記録)します。次に、このデータを伝達することで、機械やロボット上に感触をフィードバックするんです。
例えば、まず人間の手がケーキをそっとつかむときのデータをとって、そのデータを複数のロボットハンドに伝えます。すると、たくさんのロボットが力を加減しながら、ケーキを壊さずにつかむことができるようになる、といった具合です。
——感触を遠隔地で再現することもできるのですね。
はい。データを遠隔地に飛ばして、リアルタイムで同じ動作を再現できます。ABC-COREを使ったリアルハプティクスは計算や応答が早く、作業の際の違和感を生じさせないということもメリットの一つです。
データの編集を行って、感触を変化させたり、感触を拡張・縮小したりといったこともできます。これにより、「かすかな傷に触れたときの感触を何倍かに増やして、発見しやすくする」「細かい血管を縫い合わせるときに、厚い布に針を通すような感触をもたせて確実性を高める」「岩を切断する際に、発泡スチロールをカットするような軽い感触に変えて負荷を減らす」といったことが可能になります。
——感触を加えたり、変えたりするだけで、今までできなかった多くのことが可能になるようですね。
「感触」というのは視覚や聴覚と比べて非常に根源的な感覚ですが、実は人間がうまく動作するための、あらゆる部分に関係しています。「あることの便利さ」を感じることはあまりありませんが、「なくなると非常に不便」なのです。
例えば、「手のひらの上に乗せた豆腐を包丁で切る」という精緻な作業は、繊細な感覚を持ち、力加減を操れる人間にしかできませんでした。どこまでが豆腐で、どこからが手のひらの皮膚なのか、刃先で感じ分けながら力を扱うということは、機械にとって非常に難しかったのです。
しかし、リアルハプティクスを投じれば、そういった作業も今後は機械やロボットが代替できるようになるでしょう。
——他の技術と組み合わせても、できることが広がりそうですね。
画像認識の技術などとは非常に相性がいいですね。カメラセンサーによって視覚的に確認し、リアルハプティクスで感触をつかみながら作業を行うことで、作業の確実性や操作性などが向上します。
農業、医療、サービス業などに活用が広がる
——リアルハプティクスの実用化は、どのように進められているのでしょうか。
一般的なロボットアームなどを用いた作業には、すでに充分に対応できています。実際にABC-COREが搭載されたロボットの制作が実現しており、傷みやすい果物の選別や分類の自動化などの作業が可能になりました。その他にも現在、産業、医療、サービス業、農業、また国立・行政の研究機関など、さまざまなジャンルの企業や団体と共同研究を行っています。
例えば、大手通信会社との共同研究では、人間とロボットが離れた場所から遠隔操作用のグローブを使って、5G無線通信を介した力触覚技術の伝送・再現を行うことに成功しました。 今後は、ロボットが人に代わって給仕をしたり、チラシを配ったり、チケットのもぎりをしたり、といったことができるようになりそうです。
また、大手製鉄会社との共同研究では、ごみ融解処理施設内で用いる酸素洗浄装置の、遠隔での作業に成功しています。この作業は高温の融解炉の近くで行う必要があるために熱などによる体力的な負担が大きく、熟練のオペレータの技術や勘、感覚などに頼る部分も多い作業でした。実験の成功で、遠隔での作業はもちろん、ベテランの技術の自動化の実現が見えてきたことになります。
大手建設会社による、油圧式の建設機器の操作にも、リアルハプティクスが投じられています。
今までは、建設重機で物体に触れたときに、それが鉄のように固いのか、木材のように柔らかいのかなどを感じることはできませんでした。これも、オペレーターの経験に頼る部分が大きかったのですが、リアルハプティクスによって、オペレーターが感触を確かめながら、リアルタイムで作業をすることが可能になりました。
その他にも、感触をプラスした遠隔操作による釣魚の技術、自動運転車両の走行を安定させる技術、歯科のインプラント技術の向上に関する研究、VRと感触の組み合わせで、よりリアルな旅行体験を可能にする技術などに関する研究開発を進めています。
機械やロボットが人と協働・共生する未来
——今後は、現状のハプティクス技術との使い分けなども進むでしょうか。
単純な遠隔操作や、VR・ARに感触をプラスすることで体験をリッチにするといった目的については、現状のハプティクス技術でも可能だと思います。機械やロボットによる仕事の応用や自動化等の方面では、リアルハプティクスの活用が進むでしょう。
——実用化は、主にどのような分野で進むと考えられますか。
前述の通り、産業や農業への活用はすでに進んでいますし、医療に関しても、法的な整備と並行して実用化が進むと思います。
現在普及している手術用ロボットには、現状は感触がなく、視覚的にリッチな情報によって操作されています。これに、VRやAR技術による患部の再現や、リアルハプティクスによる感触がプラスされれば、遠隔でのより高度な外科手術が可能になるでしょうし、技術の教育や継承にも生かせるはずです。
介護やリハビリ、接客等、人間と直接触れ合うサービスロボットについても、リアルハプティクスの活用で、人間に代わる作業が可能になるでしょう。
ロボット産業全体の国内市場は、2035年には9.7兆円に拡大すると予想されています(※)。高齢化への対応や人材の確保という点において、必要性の増す分野でしょう。並行して、機器の自動化なども進めば、何年か後には「ちょっとした作業を手伝ってくれるロボット」が、職場などで活躍を始めると思います。
※ 経済産業省、NEDO調べ(平成22年)。
——生活やエンターテインメント分野でも、活用が進むでしょうか。
そうですね。5G通信のほか、より高度な計算をこなすコンピューター技術と、小さくてハイパワーのモーターを積んだアクチュエーター技術などが実現すれば、職人や芸術家、スポーツ選手などの特殊な動作や技術をデータ化して人型のロボットに再現させることも、夢ではなくなるでしょう。 プロスポーツ選手の直接の感触を練習に生かしたり、離れた場所にいる演奏家たちが遠隔操作で合奏したり、職人や芸術家の仕事を引退前にデータ化しておき、海外や未来において継承したり、といったことも、できるかもしれませんね。 人と機械が協働・共生することが当たり前の未来は、そう遠くはないと思います。
今までのハプティクス技術は、主に機械による感触を人に伝えることで、VRなどに感触をプラスするものでした。しかし、リアルハプティクスは、実際と同様の感触を使って遠隔地での作業をより確実なものにしたり、実際の感触を機械にリアルタイムに再現させることも出来ます。ロボットには難しいとされていた、人間が感覚的に行っていた作業も代行させることが出来るようになるということです。
その名の通り「リアルな感触」を伝える技術の活用は、今後のロボットの活躍の幅を広げ、市場を拡大するための力強いけん引役となりそうです。
- Written by:
- BAE編集部