2013年、米Googleが発表したメガネ型のデバイスは当時、大きな話題となりました。その後「スマートグラス」はなかなか普及には至りませんでしたが、2019年のCESでスマートグラスの展示が増加。いま再び、スマートグラスに注目が集まっています。そのなかで、網膜に映像を直接映し出す、ピント調節不要のテクノロジーへの期待感が高まっています。では、フォーカスフリーのスマートグラスは、どのような利点、活用法があるのでしょうか。同技術の研究・開発において日本でトップクラスに位置する、株式会社QDレーザ 代表取締役社長 菅原 充さんにお話を聞きました。
——ウェアラブルデバイスは近年、加速的に普及しています。スマートグラスがいま、再び注目されている背景も、そのことと関連しているのでしょうか?
関係していると思います。先日IDC Japanが発表した調査結果でも、2019年第1四半期の世界のウェアラブルデバイス出荷台数は、前年同期比55.2%増の4,958万台とあります。
現在は、全体の63.2%を占めているのは、腕時計型とリストバンド型です。身体につけるウェアラブルデバイスをスマートフォンと連携させることで、いつでも快適にさまざまなメリットを享受できる。そうしたニーズが高まっていることがこの調査からも見て取れます。
そのなかでスマートグラス(メガネ型)の需要も高まっていくと思いますが、技術面でのハードルが高く、なかなか普及フェーズに進めていない状況にあります。ある意味で、発展途上、大きな可能性に満ちている分野ともいえます。
——技術的な問題とは、具体的にどのようなものでしょうか?
たとえばVRを体験する際に使用するヘッドマウントディスプレイは、頭のサイズに合わせて装着するため、使うたびに準備が必要で、手間がかかります。さらには360度視野のVRを“真の意味”で、そのポテンシャルをフル活用できるアプリケーションというのは、まだ登場していないと私は考えています。
つまり、VRも現状は、BtoCの分野では装着の手間以上の価値を提供できていない。これを解決するためには、装着の手間を軽減するか、それ以上の体験価値を提供する必要があるわけです。
一方スマートグラスは、装着の手間はありませんが、装着のたびにピントを調節する必要があり、やはりそこにハードルが存在していました。
そこで当社では、ピント調節不要(フォーカスフリー)のスマートグラスの開発に乗り出しました。こうして誕生したのが、網膜に直接映像を投影する「VISIRIUM®テクノロジー」とそれを形にした「RETISSA® Displayシリーズ」です。
目に投影するということは、目をスクリーン代わりに使う、ということです。RETISSA® Displayシリーズは、スマートフォンやタブレットと連携して映像を映し出す、プロジェクターという位置付けになります。
従来のスマートグラスでは、映像部分を注視すると背景のピントがずれ、逆に背景を見ると映像がぼやけてしまうという問題点がありましたが、VISIRIUM®テクノロジーを採用したスマートグラスでは、映像と背景が同時に見ることが可能です。
これにより、リアルと情報(AR)を組み合わせ、作業支援、社員教育などのシーンにおいても活用しやすくなりました。
しかも近視や遠視、乱視、老眼など視力に課題がある人でも、VISIRIUM®テクノロジーを応用した機器を使うだけで、誰もがクリアな映像を楽しむことができます。ユーザーの視力が問題になることなく、誰でも平等に利用できることも、大きな強みといえるでしょう。
——作業支援、社員教育などのビジネスサポート以外にも、RETISSA® Displayはシリーズは、ナビゲーション、エンタメなどでの活用も想定しているそうですね。
はい。現実世界とARの融合が高い精度で実現できますから、メガネをかけているだけで、道案内の表示が目の前の道路上に表現できます。スマートフォンで見る道案内よりわかりやすいだけでなく、両手がふさがっていても利用できることは、大きなメリットになると考えています。
エンタメ分野では、昨今、訪日外国人観光客が増加していることを受けて、多言語対応の字幕サービスのニーズが高まっています。スマートグラスを活用したトライアルはこれまでも実施されていますが、ピントを合わせるために、専用スタッフを配置する必要があるなどの課題がありました。
しかしRETISSA® Displayシリーズであれば、ピント調節の必要なく、自分の母国語の字幕を楽しむことが可能です。またフォーカスフリーのため、長時間使用しても疲れにくいと想定されることも、観劇の際にはプラスに働くと考えています。
これはすでに能楽協会が実施した「伝統文化でのICT活用推進」の一環として、多言語対応公演の実証用機器としても採用されるなど、実現に向けて前進している活用法でもあります。通常、字幕は舞台の端に設置されますが、スマートグラスであれば、視点を動かすことなく演出とストーリーを同時に楽しむことが可能です。今後もこの分野の需要はさらに拡大していくでしょう。
加えて、イベントや展示においても、フォーカスフリーのスマートグラスであれば専任のスタッフを配置する必要がありませんから、インバウンド向けの多言語対応が求められる場面においても有効な対策になると考えています。
ほかにも、視力に問題があるパラスポーツ選手のサポートとしても利用され始めています。前述した通り、網膜が健康であればVISIRIUM®テクノロジーは利用可能ですから、視野角が極端に狭い方でも映像を見ることができます。パラ選手のなかには、視力に大きな問題を抱えている方もおり、自身の練習や試合の動画を確認できないという課題がありました。しかしVISIRIUM®テクノロジーによって、その問題を解決することができ、効率的な練習を実現しています。
——視覚サポートの分野においても、「VISIRIUM®テクノロジー」は効果を発揮するのですね。
そうです。むしろ、VISIRIUM®テクノロジーの最大の活用法とは、「医療面」にあるのではないかと当社では考えています。この世界には、網膜は健在でも、前眼部にある角膜に問題があることで極度の乱視になっている方や、事故で水晶体を失ってしまった方がいます。そうした方でも、VISIRIUM®テクノロジーを使えば視力を得ることができる可能性があります。
具体的には、メガネの近く、目線と同じ場所にカメラを取り付けてその映像を網膜に投影する。そうすれば、目の前の風景をリアルタイムで「見る」ことができますよね。この手法で、メガネをかけても視力が0.02程度しかなかったドイツの青年が、0.3以上の視力を取り戻した事例もあります。
現在、世界全体で白内障が原因で年間1,600万人もの方々が失明しているといわれています。そうした方たちが、VISIRIUM®テクノロジーによって視力を取り戻すことができれば、こんなに有益な使い方はないのではないでしょうか。
——2020年には、さらなる小型化・軽量化を実現した「RETISSA® Display Ⅱ」が発売予定です。網膜に投影するタイプのスマートグラスは今後、どのような進化を遂げ、社会をどう変革する可能性があるのでしょうか?
先日、VISIRIUM®テクノロジーを応用したRETISSA® メディカルは、厚生労働省から医療機器としての製造販売承認を得ることができました。現在、医療分野では「前眼部に問題がある」ことが利用条件になっていますが、今後は「網膜に問題があっても使える」ようにアップデートしていき、この世界に「見える喜び」をひとつでも多く創出したいと思っています。
同時に、さまざまな用途への応用についても、積極的に進めていきたいと考えています。たとえば、RETISSA® Displayシリーズによる同時翻訳が可能となれば、通訳なしで、さまざまな言語の方とリアルタイムで会話できる世界が実現できます。
また5G時代の新しいスポーツ観戦のスタイルとして、“マルチアングル視聴”がよく登場しますが、RETISSA® Displayシリーズを活用すれば、特定の選手だけを追いかける観戦スタイルも実現できる可能性があります。同様に、音楽ライブでも、自分の好きなアーティストを好きなアングルで楽しむ、なんてこともできるかもしれませんね。
という具合に、メガネのIT化がもたらす恩恵というのは、非常に大きなものです。その未来の実現に向けて、少しでも私たちの研究が貢献できたらうれしいですね。
網膜に映像を投影する技術自体は、1991年にアメリカで生まれたものです。それがテクノロジーの進化によって、ついに実用化レベルに到達し、誕生したのがRETISSA® Displayシリーズです。最近ではイヤホン型のウェアラブルデバイスが話題になっていますが、スマートグラスは、既存のデバイスを上回る変革を世界にもたらす可能性を秘めています。その動向にいま、世界中が注目しています。