2022.02.09

テレワークならぬ「テレイート」が実現? 遠隔地に味を伝える技術の価値

「味」がメディアとなる時代。味わうテレビTTTVがもたらす食体験

音や映像などの視聴覚情報をテレビやラジオ、スマホなどを通じて離れた場所で受け取ることができるように、実は「味」を遠隔で伝えることができる技術も既に確立されています。プロモーションやマーケティング業界でも活用の可能性を秘めた、味を遠隔で伝えるテクノロジーの現在について、明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 教授の宮下芳明さんにお話を聞きました。

目次

未来は味覚や触覚、嗅覚にもコンテンツが広がっていく

——宮下さんは以前より「味ディスプレイ」、「味覚シンセサイザー」など、味を擬似体験できるユニークなインターフェースを発表されています。味覚研究をされている狙いについて教えていただけますか。

私が学科長を務めている明治大学 総合数理学部先端メディアサイエンス学科では、未来のコンピュータの在り方について研究をしています。私がその中で特に何を研究しているかというと、「表現の拡張」という言い方をするのですが、例えばスマホにカメラが付いたことで、みんなライブ配信ができるようになりましたよね。未来におけるコンピュータは人間の表現能力を拡張してくれるものという風にとらえ、それを支援するための仕組みやソフトウェアを作って研究しています。

人とコンピュータのより良い関係を考えていく中で、私は人間の「味覚」に着目しました。というのも、未来は視覚・聴覚だけでなく、味覚や触覚、嗅覚といったところにもコンテンツが広がっていくだろうし、それを作ったり享受したりする仕組みもデジタルが担うだろうと考えたからです。そのため、味覚と並行して嗅覚についての研究も行っています。

——味を擬似的に再現するという技術はいつ頃から存在したのでしょうか。

以前、BAEでも取り上げていただいた「味ディスプレイ」は、電気刺激や電気泳動を利用してさまざまな味を感じさせるという技術なのですが、実は電気味覚の原理は、電気の発見と同じタイミングで発見されています。約250年の歴史があり、味を伝送する技術の研究も進んでいるのですが、まだ具体的な製品やサービスとして、社会で実用化されていないというのが実情です。

宮下教授の開発した「味ディスプレイ」。電解質がとけこんだゲルが先端についており、電気的な作用で味を生み出し、舐めるとそれを感じることができる

——まったく実用化は進んでいないということでしょうか。

強いてあげるならば、医療分野で電気味覚計という検査器が1950年頃から実用化されています。これは、微量の電流を舌に流して、味覚神経機能を調べるというものです。

電気味覚に限らず、多くの先端技術は研究が進んでいても、実際に社会に浸透するまでには高いハードルがあります。例えば皆さんにもお馴染みの技術でいうと、バーチャルリアリティーが最初に生まれたのは1968年ですし、3Dプリンターは1980年に生まれています。研究者がどれだけ先の未来を描いても、一般の人に賛同されなければ社会に受け入れられません。私たち科学者も、研究だけをするのではなく、社会へのアピールも積極的に行っていかなければいけないと感じています。そこで発表したのが「TTTV(Taste the TV)」です。

3Dプリンターなどと組み合わせることでよりリアルな「食体験」が実現

——「TTTV」の概要と、仕組みについて教えていただけますか。

「TTTV」、日本語では“味わうテレビ”と呼んでいるのですが、まさにテレビが視聴覚情報を届けるように、「味」を伝送することができるデバイスです。使い方は、まず再現したい料理の味を味覚センサーで測定しておき、データ化します。そのデータに基づいて食塩水や砂糖水など味のもとになる物質を混合してフィルムや、クラッカーなどの実際の食品に吹き付けます。食品に噴霧した場合は、そのまま食べ物として味わうことが可能です。味のデータさえあれば、遠い異国の料理や、昔食べた思い出の味なども再現できます。

また、味の再現技術にはこだわりがありまして、人間の舌が感じられる基本5味(甘味・酸味・塩味・苦味・うま味)以外にも、辛味や渋味も加えることができますし、アルコールタンクも入っているので、カクテルやワインなどお酒の味の再現も可能です。

——このデバイスのメリットと、課題はなんでしょうか。

電気味覚を利用した味の再現技術では、例えば1%の食塩水以上の塩味は再現できないなどの制限があるのですが、直接味を噴霧する方式ではそういった制限がなく、味の再現度を高めることができます。しかし難しいのは、味の再現度を100%にしても体験者が満足しきるわけではないだろう、ということです。

私も研究をしていてだんだんとわかってきたのですが、「食」の満足度というのは単に味の良さで測られるのではなく、食べごたえであるとか、匂いであるとか、満腹感であるとか、そういった食にまつわるあらゆる要素の総合、つまり「食体験」の充実度で決まってくるということです。

——逆に言えば、味を伝送する際に、視覚や聴覚、触覚などの情報も合わせて届けたり、3Dプリンターで食品の形も出力したりすれば、よりリアルに近い「食」の擬似体験が実現するということでしょうか。

そうですね。TTTVでも視覚情報を補うために、ディスプレイに味を再現した食品の映像が流れる仕組みとなっています。

味のダウンロード販売やヘルスケア分野での活用も可能に

——「TTTV」など、味を再現し、伝送する技術を企業が導入する際に、どのような取り入れ方や、活用の仕方が考えられますか。

私たちが提案しているアイデアの一つが「味見できるメニュー」です。出前やお取り寄せなどで飲食物を注文する際に、TTTVのような仕組みを使って、あらかじめ味見ができたら便利ですよね。以前から私の中で疑問だったのですが、なぜ皆さん、人に贈るお歳暮のような大切な商品を、味も知らずにセレクトできるのでしょうか。購入に慎重な判断が求められる商材にこそ、味を伝送する技術が活用できると思います。

ディスプレイに写し出されたメニューを舐めると、味を体験することができる 画像:TTTVプロモーション動画より

——ECサイトなどで食品などを購入する際に、事前に味を確認できたら、確かに便利かもしれません。しかしTTTVのような大掛かりな装置を自宅に導入するのは、なかなかハードルが高そうです。

フォトプリンターも現在ではかなり小型化が進んでいると思うのですが、仕組みとしてはそのインクが食塩水などに置き換わればいいわけですから、プリンターメーカーと組めば、小型化は実現可能かと思います。

家で手軽に味を再現できるようになれば、「味のダウンロード販売」というサービスも生まれるかもしれません。憧れのシェフがチューニングした料理の味をデータでダウンロードして、ごはんにかけたり、パスタにかけたりして食べるというイメージです。オンラインイベントでのデジタルノベルティとして「味」をプレゼントするのもありですよね。

TTTVにはアルコールも搭載されているので、ソムリエの訓練にも使えるという 画像:TTTVプロモーション動画より

——面白いですね。販促的な利用以外では、どのような活用の方法がありそうでしょうか。

医療やヘルスケアの分野で、さまざまな使い方ができると思います。例えばダイエット食品。3Dプリンターで満腹感の得やすい構造の食べ物を出力して、それに味や栄養素を噴霧すれば、最強のダイエット食品を自宅で簡単に手に入れられます。

または、アレルギーをお持ちの方に対するサービス。例えば、甲殻類にアレルギーがあるけど、どうしても味わってみたいという方もいますよね。疑似的に再現した味であれば、アレルギーを気にすることなく、味を楽しむことができます。

実際に実用化に向けて企業と動いているプロダクトもあります。電気味覚の仕組みを利用して、健康上の理由で減塩食など塩分を控えた料理を食べている人にも、濃い塩味を味わってもらえるという「箸」です。既に開発は終わっていて、あとは試験をクリアして、認可が出れば、リリースできるという段階まで来ています。

開発中の電気味覚箸

——食にまつわるあらゆる課題を解決してくれる技術となっていきそうですね。

コロナ禍でビデオ通話や仮想空間(メタバース)での飲み会や懇談会をする文化が少しずつ浸透してきている今だからこそ、味を伝送する技術のニーズもますます高まっていくのではないでしょうか。例えば知り合い同士で会食をした時に、現地に駆けつけることができずオンライン参加になった人がいても、味覚伝送の技術があれば料理の味見だけでもすることができる。そんなハイブリッドな会食の形も、今後はあり得るわけです。「テレワーク」ならぬ、「テレイート」が実現するよう、私も研究や開発を進めていきたいと思います。

明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科 教授の宮下芳明さん

「味」を遠くにいる人に伝えることができる技術というと、まだまだ一般人にはイメージのしづらい世界ですが、触覚を再現するハプティクス技術や、匂いを再現する技術など、味覚に限らず人間の「五感」すべてがデジタル情報に還元される時代、「味覚」技術も私たちの生活に今後一層浸透していくことは間違いないでしょう。食の新しい販売方法の登場や、ECでの食品の購入の仕方が変わるなど、購買行動にも大きな変化がありそうです。

Written by:
BAE編集部